ゴーストワールド

10代! 10代には、誰もが、自分というものを見つめ直す。
というか見つめ直さなければならない。見つめ直さなければ、生きていけない。
日本でも、アメリカでも、どこの国の若者でも。

と、ゆーわけで。ダニエル・クロウズゴーストワールド』です。
実写映画化もされた名作。観てないけど。

ヒーローものじゃない海外コミック、いわゆるひとつのオルタナティヴ・コミック。
っていうのはあんまり乱暴だから、言い直します。青春マンガです。

シニカルで何でも斜に構えて世の中を見ているイーニドと、
彼女と一緒に行動しているけど、どっちかというと普通の女子とさえ言えるレベッカ
そんな2人の18歳の女の子たちの日常と不安と変化を、
独特の目線からコミカルに、ときにシリアスに描いた傑作です。

イーニドは、確かに知的なところがあり、
例えば「ソニック・ユース知ってるだけで自分達がイケてるって勘違いしてる」女子高生や、
タウン誌の出会い欄に投稿するような男性などを影で小馬鹿にしている。
一方で大学試験に挑戦すべきか迷っており、これまでの自分を変えたいとも思っている。

レベッカは、イーニドほど世の中に対してシニカルになることはできない。
年相応のティーン雑誌を読むこともあるが、
かといって巷にあふれる“大人たち”の仲間入りを果たすこともできない。
イーニドのことは友達だと思っているが、知的な彼女に対して劣等感を抱くこともある。

一緒に、国宝級のダサさのダイナーに見に行ったり、
典型的な“中二病”男子や地元政治家の選挙CMに出ている女子の
悪口を言い合って遊んでいた彼女らだったが、
イーニドが大学に行くことを決めたことで、2人の関係に亀裂が入り始める。

大学試験に挑戦することを決めたイーニドに対し、
「一人で勝手に大学でも行ってろ!」と中指を立ててしまうレベッカ
不安定な2人の関係はどうなるのか……。
ネタバレがOKという方は  Wikipedia「ゴーストワールド(コミック)」へ。

本作では、不安を抱えた女の子たちの将来に対する決断が描かれてますが、
これはたぶん、性別や洋の東西を問わずに共通する普遍的なテーマ。

そして、10代後半~20代の若者たちに突きつけられる問題は、
およそ次の設問に集約されるはずです。
「別の新しい土地でリセットするか、生まれた土地でコンティニューするか」。

それを象徴するのが、以下のセリフ。

レベッカわかんない もしかして私はどこにも行きたくないし 何もしたくないのかもしれない
      ただ高校のときみたいに毎日を過ごしたいだけ!」
イーニド「それがわかんないのよ 私は反対に全然違う人間に生まれ変わりたいから…

どちらが正しいということはなく、それは生き方の違いでしかない。

だけども、そこに大切な友人という存在が絡んでくると、決断は複雑なものになる。
イーニドは、「なんで私と一緒じゃダメなの?」と質問するレベッカに対し、

だって あんたは私の過去そのものなのよ
 あんたは私が忘れたいどんな細かいことも全部知ってるんだから…

と返答する。
また、高校のときのように毎日を過ごしたいと願っているレベッカも、

もし私達が別々になることを考えると すごく恐い…
 だからって30歳になってもこのままだったらそれも気味悪いし…」と語る。

いったい友人・友情というものは、末永く大切に保持すべきものなのか、
それとも自分を縛りつける過去の重荷なのか。

想像してみてほしい。

大学卒業を機に、心機一転、新しい土地に引っ越して、新しい仲間と知り合い、
新しい生活を始めたと思ったら、隣の部屋の住人が10年来の友人だった。
そんなときに感じる強烈な“過去のしがらみ”、“閉塞感”。

あるいはこうです。
ずっと続くと思っていた仲間たちとのくだらない生活が、ある日突然に終幕を迎え、
気がつけば身の回りの友人たちは皆、都会へ就職に行ってしまった。
その“置いてけぼり”、“もっと遊ぼうと思っていたのは自分だけだったの?”感。

もちろん、現実的には、たとえかつての友人と出くわしたって、
新しい生活には何の影響も与えないかもしれない。
だけども、自分の過去を思い出させるモノがいる(もしくは“ある”)限り、
“完全に”新しい自分・全然違う自分に成りきることはできないだろう。
友情というものは、それくらい濃密な時間を思い出させてこその友情だから。

あるいは、友人すべてが都会に引っ越したといっても、
年に1~2回ほど帰省しては、思い出話に花を咲かせることもできるかもしれない。
けれど、一度見失われてしまった人間関係は、取り戻すことはできても、
かつてのそれとは完全に同一には成りえない。
友人の“変わりたい”と願う心を邪魔できないのが、つまりは友情だから。

リセットするか、コンティニューするか、
どちらを選ぶにしても“大人”になるためには何かしらの決別・犠牲が必要で、
それを受け入れるということが“大人”になることなのだと。

いや、もちろんそこまで重要な問題じゃないと考える人もいるだろうよ。
存外、「よぉ、変わってないな」、「お前は変わったな!」で済む話なのかも知らん。
というか大抵の人はそうやって済ませているのかも知らん。

だけど世の中には“「変わったな」「変わってないな!」”で済ませられない人たちもいる、
では、そういった人たちの青春や友情は、幼稚で恥ずべきなものなのか?
そうではない、それもまた大切で・得がたい宝物なのだということを本作は教えてくれる。

なんか小難しいこと書きましたが、普通に笑えるところもあるし、
かつて(かつて、ね。重要)自分自身を天の邪鬼だと自称したことがある人なら、
必ず共感できるところが見つかるはず。絵柄もクールでイカすし、
90年代後半のポップカルチャーを知る上でも読み応えあり。おススメ。