でろでろ

えー、あれですな、昔からよく「ホラーとギャグは紙一重」なんて言いますな。
有名なところだと好美のぼる『あっ!生命線が切れている』とか、
神田森莉『37564(みなごろし)学園』とか、城たけし『呪われた巨人ファン』とか。

いずれも読者を怖がらせようとしているのは確かなんだけど、
設定や絵柄がぶっ飛びすぎてて、もはらギャグとしてしか読めないというB級ホラー。

なぜホラーとギャグが紙一重なのかは、とりあえず置いておくとして、
伊藤潤二の『双一』シリーズやは、楳図かずお御大の『まことちゃん』などは、
そのホラーとギャグの近さ・類似性を逆手にとってギャグにした傑作として知られてます。

で、今回の押切蓮介『でろでろ』も、ホラーでありながら笑えるという一作です。

ひと言でいうと、悪ガキ中学生の耳雄(みみお。なんつー名前だ)と、
彼の妹である留渦(るか)を中心に展開される1話読み切り形式の妖怪ホラーギャグ。

登場する妖怪は、一反もめんとか河童といったお馴染みの妖怪……ではなく、
例えば、部屋に縮れ毛をまき散らす「チンゲ小僧」や、
バスの降車ボタンを人より先に押そうとする「オシヲ君」、
焼きそばのお湯を流し台に捨てた時の音を生じさせる「ボコン」などなど。

日常生活のちょっとした疑問や不満、“あるある”が妖怪化したものばかりで、
しかも大抵は出オチ。バトルやドラマに展開するなんてことはほとんどない。

時おり人に危害を加える妖怪も出てくるが、
そんなときは耳雄の鉄拳により素手で撃退するなど、
“妖怪=恐怖の対象”というよりは、“ちょっとした珍獣”程度のノリなのがイケてます。

とはいっても、時おりホントに怖い妖怪や怪奇現象に遭遇するので気が抜けません。
その怖さも、上記の妖怪たちと同様に日常と隣り合わせの怖さであり、
「一歩間違えれば……」的なうすら寒さを感じさせてくれます。
(BBQの楽しげな幻覚を見せて人々を河川の濁流に誘いこむ「濁流霊」が怖い)

ただし、というか実は、漫画の技術的にはかなり荒削りです。
流行の絵柄からかけ離れているし、背景やモブの描き込みなどもあか抜けない感じ。
ヘタというほどではないが、良くも悪くも“洗練されていない”。
(その分、妹の留渦などヒロインキャラはかわいく見えるというギャップ効果あり)

それだのに面白い理由を考えてみると、
先ほど述べたホラーとギャグの親和性が高い理由と密接にリンクしてるんですね。

さあ、何故にホラーとギャグが紙一重なのか?
それは両者ともに“真剣であることが求められる”からです。

真剣でないホラーは怖くないし、真剣に笑わせようとしていないギャグは寒いだけ。
稲川淳二の怪談語りや、芸人たちの漫才はどれも真剣でしょう。
どちらも真剣であればあるほど“面白く”なるからです。
もちろん、冒頭で紹介したB級なホラー漫画たちも、
作者自身はいたって大マジメだからこそ伝説的B級ホラーとして名を残している。

では本作『でろでろ』の場合はどうか? 
確かに漫画の技術やビジュアルセンス的には荒削りだけども、
作品そのものはきちんと丁寧に・まじめに描かれている。

個性あふれまくりの妖怪たちはコミカルかつシュールな姿で描かれ、
ホントに怖い妖怪たちは、ちゃんとゾッとさせるシチュエーションのもとで登場する。
耳雄のやんちゃな暴れっぷりはブレがなく一貫しているし、
たまに見せる留渦の女の子らしさは、萌え絵でないけどかわいらしいと思える。

要するに、作者の「こういう風に描きたいんだ!」という意図がちゃんと読み取れる。
“達筆ではないけど丁寧に書かれた字”って見てわかるでしょ。あれと同じ。

“たとえ技術的には追いついていなくても、
 意図していることを丁寧かつ真剣に描き上げる”──。
そんな創作姿勢のもとで、真剣さが求められるホラーとギャグを一度に描いたことは、
まさにベストな選択だったといえますな。

まあ小難しいことを考えなくてもホラーギャグとして十分に楽しめるし、
巻末の作者の日記もダメ人間っぷりがにじみ出ていて味わい深い。

作者の押切蓮介は、本作で“妙な人気がある漫画家”の仲間入りを果たし、
ミスミソウ』、『ゆうやみ特攻隊』といった本格ホラーも手がけるように。
近年はホラー漫画があまりパッとしないので、出来る限り長く活躍してほしいものです。