将棋の子

勝負の世界に生きる人たちに憧れます。
それこそ、「この勝負ですべてが決まる!」というような、
あるいは、勝っても負けても身を焦がしてしまうような勝負の世界。

そこに生きる人たちは、どういう景色が見えているんだろうと、想像してしまう。
本人にしかわからない苦悩や不安や恐怖や歓喜が渦巻く、
“濃度の高い”世界なんだろうなとしか想像できないんだけども。

特に将棋の世界は、その濃度がハンパない(らしい)です。

まず将棋のプロになるには「奨励会」と呼ばれるプロ棋士養成機関に入る必要があり、
そこで所定の成績を収めながら、六級から順に段位を上げていく必要がある。
さらに年齢制限があって、21歳までに初段、
26歳までに四段(プロ)に到達しなければならない(だったはず)。

四段に昇段できるのは、年間4名だけ。
26歳までに四段に上がれなければどうなるかというと、
基本的には奨励会を退会となり、もうあとには何も残らない。終わり。

すごいよね。
六級の時点でアマチュア県代表クラスの棋力があるといわれるのに、
(要するに“天才”と呼ばれるレベルなのに)
さらにそこから同じくプロを目指す仲間たちとしのぎを削りに削りまくって、
それでようやくプロ棋士になれるか・なれないかの紙一重なんだぜ。

現在、プロ・アマを含めて、将棋の競技人口は約600万人。
そのなかでプロと呼ばれる棋士は約150名程度。4万分の1。狭き門。

そういう世界で、プロになれなかった人たちを描いたノンフィクションが、
今回紹介する『将棋の子』です。

著者の大崎善生は、かつて将棋関連の雑誌の編集に携わっており、
奨励会で戦い、そして夢破れて去って行った若き棋士たちを間近で観察してきた人物。

軸となるのは、成田英二というプロ棋士を夢見る一人の青年。
地元では“10年に一度の天才”と称されるほどの実力を持つ彼だけども、
純粋かつ不器用な性格が災いして、なかなか段位をあげることができない。

自分を応援してくれる病気がちな母親に支えられながら(三段までは無収入)、
それでも懸命にあがき、自分の将棋を指し続けるんだけども、
やがて自分の限界を悟り、奨励会を退会してしまう。

将棋以外に何もやってこなかった彼は、生来の不器用さもあり、
借金を抱えてタコ部屋労働者ばりの境遇にまで身をおとしてしまう。

そんな彼だけども、何年かぶりに再会した筆者に対してこう言う。

「将棋がね、今でも自分に自信を与えてくれているんだ。
こっち、もう15年も将棋指していないけど、
でもそれを子供のころから夢中になってやって、大人にもほとんど負けなくて、
それがね、そのことがね、自分に自信をくれているんだ。
こっちお金もないし仕事もないし、家族もいないし、
今はなんにもないけれど、でも将棋が強かった。
それはね、きっと誰にも簡単には負けないくらい強かった。そうでしょう?」

そして、筆者は気づく。

「将棋は厳しくはなく、その本質は優しいものなのである」

勝負の世界に生きる人たちの、こうした勇気に、心を震わされてしまう。
将棋に出会わなければプロ棋士を目指すこともなかっただろうし、
プロ棋士を目指さなければ、もっと“まとも”な人生を送れたはず。
成田だって、借金まみれにならなかったかもしれない。

それでもなお「将棋が自信をくれた」と語ることができるのは、
将棋にすべてを賭けて真剣に取り組んだという事実が、
やっぱりその人の精神的土台になっているからでしょう。
勝負の世界に生きる人々は、だから精神的に“大きい”。人間がでかい。

そして同時に、“夢”に向かって戦い続けることの意味も考えさせられてしまう。

作中には、成田と同じように奨励会を去った若者たちその後も描かれる。
一時は街でのケンカに明け暮れたものの将棋記者になったものや、
世界放浪の旅に出たのちブラジル代表として世界将棋選手権で優勝を飾ったもの、
将棋で培った極限の集中力を活かし、司法試験合格を果たしたものなどが登場する。

プロ棋士という夢に人生を大きく変えさせられ、しかもその夢に破れはしたものの、
夢を追い続けていたからこそ、その後の人生も胸を張って歩んでいける──。
そんな姿に、夢に向かって戦うことの意味を、学ぶ気がするのです。

将棋という真剣勝負の世界と、それに挑む人々の青春とドラマを活写し、
勝負の世界が孕んでいる本質的な“優しさ”と、
夢を持ち続けることの素晴らしさを説いた、まことに感動的な1冊。
読むと得体の知れない涙があふれてきます。勇気を出したいときにおススメ。