「正直者やマジメな人が損をしない社会を」って言うけどさ

損得や利益の価値観にとらわれてる時点で、ズルして得した人とそんなに変わらないんじゃね?

 

もちろん「正直者やマジメな人が損しない世の中」は理念として共感するし、そんな社会になればいいと思うよ、俺も。というか、実際いつかはそういう社会になるとさえ思ってる。

 

でも「正直者・マジメな人が損をしないこと」を望む気持ちのウラには、「損しないために正直になろう、マジメにやろう」という計算があるんじゃない? それは結局、得するためにズルしようって気持ちと同じ地平に立ってる気がする。

 

そもそも、正直な心根であることやマジメに生きることと、何らかの損害を被らないことは本来別モノであるはず。それなのに「正直者やマジメな人が損しない世の中」が叫ばれている。

 

ということは、「正直さ・マジメさは現世利益として報われるべき」という期待感が見えないところで広がっているのかも知れん。何か良いことをすれば、報酬が得られてしかるべきだという資本主義的期待。それはあたかも「悟りを開くために功徳を積む」のと同じ話で、本当はおかしなことなんだけども…。

 

いや、別に「損したくない・得したい」という目的のために正直者であってもいいんだよ。でもそれならその欲深さは自覚されるべきだと思うのよね。「正直者やマジメな人が損をしない社会を」というスローガンは、その欲深さを覆い隠してしまう耳触りの良さがあるから、やっぱりどうも一歩身を引いてしまう、個人的には。

 

理想を言えばさ、現世的な損得から解き放たれた価値観を生きていきたい。見た目の損得、目の前の損得にとらわれなくなったら、たぶん無敵だと思うのよね。それこそ『あっかんべエ一休』(坂口尚の)みたいな生き方できたらな、と。

 

でも多分無理だから、だからこそさっき書いたように、自分の欲深さと向き合うことには意識的でありたいなと思うわけであります。 

あっかんべェ一休(上) (講談社漫画文庫)

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