天人唐草

さあ、やってしまいました。山岸凉子先生です。しかも『天人唐草』。やべえ、マジこええ。60ページほどの短編なんですが、凡百のホラー漫画より数百倍も恐ろしいです。ジャンルとしてはサイコホラー…なのかなあ。いや、より純粋なサイコだ。狂気そのもの。そして、人が狂気に陥ってしまうその過程を描く。 ざっとストーリーを。 主人公は、男尊主義的で前近代的かつ厳格な父親と、そんな父に逆らえない母親に育てられた女性。小さいころから「ああしなさい」、「こうしなさい」、あるいは「これはダメ」、「あれはダメ」としつけられ、奥ゆかしいというにはあまりにも引っ込み思案な性格に育った。 本当の意味での女性らしさを失い、失敗を恐れ、叱責されることを恐れ、人との関わりを、こと男性を恐れた。父親とその教えがなくては、何ごとも自分ひとりで決められない……。さあ、このような女性、このような人間に、何 が 待 ち 受 け て い る か。 狂気。それが山岸凉子の用意した答え。 さて、程度の差・質の違いはあれ、誰だって親からは何かしらの教えを授かる。しかし、世の中に出れば、その教えに従っているだけでは対応できないことに山ほど直面する。 そういうとき、人は自分で考え、自分で行動しなければならない。ときには傷つきながら、逆に誰かを傷つけながらも、世界との距離感を計り、他者と付き合っていかなければならない。それが成長というものであり、まっとうな人間に“成”るということだ。 ところが本作の主人公は、両親から「奥ゆかしくあれ」、「でしゃばるな」と教えられ、なおかつそれを至上命題ととらえてしまったがために、成長できるチャンスを何度も見過ごし続けてしまう。父親や、あるいはそれに代わる人の言うことだけ聞いていて、それで生きていける環境もあるでしょう。例えば武士の家庭や、極端な男尊主義社会ならば。 だけども現代は違う。そんな人間は敬遠されるのがオチだ。「アイツト話シテイルト疲レチャウンダヨナア」。じゃあどうする? 変わるしかない。でも変われない。失敗するのが恐い。他人の目が恐い。父に叱られるのが恐い……。 とまあこんな具合。行き場をなくした主人公の結末は、ぜひ自分の目で確かめてください。 いやあ、それにしても山岸先生は「精神的に成長できない人間の末路」を描くのが本当に上手い。周囲に流され、自分の不幸と向き合わず、絶えず言い訳ばかりしている人間。読者にだって、そういった怠惰な性情・臆病な気持ちは少なからずあるはずで、必ずしも彼らを意気地なしとはののしれないはず。 だけども、失敗に対する臆病や変化を忌避する怠惰は、じわじわと増殖するガン細胞のようにその人の精神を蝕むのです。そしてそれは、やがて取り返しのつかない悲劇を招きうるのだということを、この漫画家は淡々と・静謐な筆致で描く。 それにしてもこの作品、20年以上前のものなんだよなあ。まったく古びていない。そして、これから先も古びないだろう。それくらい人間存在の根源に関わる問題を描いている。本当に脱帽。 えーと、今さらですがコミックスそのものは短編集です。潮出版社から刊行されているものが最新の版ですが、ここはひとつ、中島らもが巻末解説を書いた文藝春秋の文庫版(下の画像)を推薦。今回の記事に書いてあることよりも面白く・わかりやすく、腑に落ちます。それも含めておススメ。マジで大傑作。読めよぉー。