息をつめて走りぬけよう

いま紹介するべきなのかしらね。ほんまりう『息をつめて走りぬけよう』。

傑作なんですけど、埋もれに埋もれまくった漫画です。短編。

グーグル先生に聞いてもストーリーがわからないくらいマイナーなので、

この記事でざっと最後まで紹介します。ネタばれ注意。

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主人公の田村宗一は高校2年。

顔が悪い、頭が弱い、力が無い、と三拍子そろった“デキンボ”。

自慢できるものがなにもないから、態度は弱々しく、

「ちっちゃい時から重要なこと何ひとつ自分で決断したことがない」。

が、ひょんなことから、同じくデキンボの加藤、宮林、倉科と仲良くなる。

4人で集まって放課後のおしゃべりに興じるなど、

彼らはお互いに、初めて“友達らしい友達”ができた。

しかし友達ができたところで、ヤンキーグループにはかなわない。

宮林がボコボコに殴られるのを、3人ともが止められなかった。

彼らは自分たちに足りないものに気づく。自信がほしい、と。

そこで彼らは早朝トレーニングを始める。

筋トレとマラソンと体力をつけ、

さらにお互いを本気で殴るなどして度胸をつけた。

やがて鍛えた体を手に入れた4人は、自分たちの力を試すべく、

気に入らないヤンキーを夜道で襲撃。殴り合いに勝つ。

だが、勝利の心地よさが冷めやらぬうちに、

今度はヤクザとケンカになってしまう。

場馴れしたヤクザ相手に逃げ出す4人だが、倉科だけ捕まってしまう。

田村は「もう友達を見捨てて逃げるのはごめんだ」と

ヤクザにビール瓶で殴りかかる。砕け散るビール瓶。

凶器は、相手の頸動脈を切り裂いた。

倉科は半狂乱になり、警察にあらざらいをぶちまける。

彼は本当は優等生なのだが、

気持ちが安らぐという理由で田村らと付き合っていた。

しかし中間テストで不本意な点数を取ってしまい、不安定な精神だったのだ。

田村は、そんな倉科に気にするなとの言葉を残し、警察へ自首する。

彼は、何か世界が一変したかのような、不思議な感覚を味わっていた。

感じないかい? 昨日まで見てきた風景と 今日は 何か違うんだ

街全部が 空全体が光を放っているような…………

風をうけて白く光る葉ウラが

まるで沿道を埋めてうちふられる凱旋の小旗の波のように

オレはその時 ほんとうにそう見えた

田村宗一は、「ちゃんと生きていけるような」自信を得て、

少年院へと入れられた。

一方、田村に助けられたはずの倉科は、

「最低だな」とつぶやき、飛び降り自殺する。

残された加藤と宮林は、冗談を言い合っていたはずの

2人の友人が「急にマジに」なってしまったことに困惑し、

「冗談だって言ってくれよ」と泣き叫んだ。

少年院内で倉科の自殺を聞かされても、顔色ひとつ変えない田村。

物語は穏やかな表情で語る彼の言葉で幕を閉じる。

たとえ おもてがどんなに吹き荒れようと

息をつめて走りぬけよう

風景が光り輝くまで 息をつめて走りぬけよう

息をつめて…………

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青春漫画、それも“不良”青春漫画(≠ヤンキー漫画)として

非常な完成度の高さを誇る短編の大傑作であることは間違いない。

だけど、この作品をどう読み解くかは、かなり意見がわかれるはず。

田村は、過失ながらも人を殺してしまうが、

自首することで「ちゃんと生きていけるような」自信を得る。

反対に、助けられた倉科は、自らを責めて、自殺する。

残された加藤と宮林は、冗談であってくれと叫ぶ。

仮に田村が自首しなかったらどうか。

たぶん人を殺した負い目から、前以上に自信のない人間になったはずだ。

しかし暴力──暴力でしょうね──を追い求めることで得た自信、

それは果たしてまっとうなものと言えるのか。

「息をつめて走りぬけよう」という田村の表情は、

少年院の監督者から「不気味な自信」といわれるほどの落ち着きようだ。

その顔はまるで浮世離れしたものにも思える。

たぶんだけども、少年院から出てきても、

田村に現世的な生き方はできない。

出家するか、人里離れた場所に隠匿して自給自足するか。

いずれにしても、彼は殺人という十字架を背負いきってしまった。

普通の人なら背負えない十字架を、です。

そこまで達観してしまった人間は、おそらく現世に適合できない。

誤解してほしくないけど、田村が不幸だとは言っていない。

田村は心穏やかに生きていけると思う。

まさしく世捨て人のような、すべてを悟りきった境地で。

それでもやはり、世の“デキンボ”たちが、田村のようなやり方で、

“ちゃんと生きていける自信”を得るべきだとは思えない。

小さな成功や挫折、そうしたごく当たり前のものを乗り越えて、

少しずつ少しずつ、自分と世界との距離感をつかんでいく。

そうすることが成長だとオレは思う。

少しずつ、というのがミソです。

生身の人間なんだから、一気に変えると無理が出る。

しかしこの作品の田村少年は、一気に変わってしまった。

それこそ稀代の宗教家が天啓を得るがごとくに変身し、

自分が見る風景、すなわち世界の様相を一変させてしまった。

自分が変われば世界が変わる、なんて言われるけど、

よく考えてほしい、1人の人間、それも高校生ほどの少年に、

世界が姿を変えるほどの衝撃を受け止められると思うか?

かなり難しいことだとオレは思うよ。

それほどの衝撃に直面したのなら、倉科のように逃げるか、

加藤・宮林のように“冗談”として斜めに構えるか、

あるいは田村のように人間をやめて、達観するかしかないわけで……。

さて、世の中には、この4人組のような人間が、います。

得意なものがなく、自信がなく、うじうじとした態度の人が。

これはもう、いい・悪い関係なく、いるのだと。

オレも昔、そうでした。よくバカにされていた記憶もあります。

カツアゲとかにもしばしば遭遇した(逃げたけどね)。

無論、親にもしょっちゅう怒られてた。

言いたいことがあるならハッキリ言え、と。

それでも田村にもならず、倉科にもならず、

どちらかというと加藤・宮林のように、斜めに構えてやり過ごしてきた。

だからこそ生きていられるとも思う。

だけど、現実世界の“デキンボ”たちが、どのような道をたどるか。

それはやはり彼ら自身にしか決められない。

「私はこう考える」なんて言うことはできるが、つまり言うことしかできん。

ただただ、本作のようなフィクションを通じて、想像するだけなのです。

小難しいこと述べましたが、上記にあるとおり、

不良青春漫画としてたぐいまれな傑作です。

壱番館書房のほか、ブロンズ出版からも出てますが、どちらも絶版。

古本屋で見かけたら速やかに保護しましょう。5つ星。