光る風

山上 たつひこ 小学館クリエイティブ
この漫画、江東区の図書館に置いてたんだぜ。  
はい、山上たつひこの『光る風』です。山上たつひこは、あの『ガキデカ』および『喜劇新思想体系』の作者であり、一般的にはギャグ漫画でゆーめーな作家ですが、ところがどっこい、これが現実、シリアスなSF作品や小説なども手がけているのです。
そのシリアスな作品群の中でも、特にゲロ吐くほどシリアスすぎるこの『光る風』を、どのように言い表せばいいのか。
あまり意味がないけど、あらすじ。
ときはXXXXX年、戦争に敗北してもなお、国家による管理体制が急速に進む日本。名家の次男である高校生・六高寺 弦(ろっこうじ げん)は、軍国主義に凝り固まった家庭に嫌気がさして独り暮らしを始めた。しかし勤め先の小さな出版社には、何やら怪しい男たちが出入りしている。不穏な何かを感じ取った弦は、男たちの素性を調べ始めるが……。
劇中ではあくまで「XXXXX年」とされているし、作品発表は1970年ですが、背景にあるのが安保闘争と冷戦真っただ中な1960年代の日本であることは明らか。作中の日本は軍国主義者が幅を利かせている管理社会であり、町中でも秘密警察がそこらで目を光らせている。またアカ狩りや急速な再軍備など、当時の不安な空気感を否が応にも感じさせる上、キーファクターとして、公害問題を思わせるような奇病を巡る謎も登場する。いやはや、1950年代~1960年代の日本がどれほど揺れ動いていたか……。  
そんな世界観の中、主人公の弦は1つの疑惑から日本の暗部に関わることになる。彼は若者らしい理想と情熱をもって社会に問いかけ、怒りをあらわにするが、周囲の人間からは中傷され、逮捕・拷問の末、収容所送りになる。個人の存在意義や生そのものが矮小化され、オーウェルの『1984年』にも似た恐ろしいほどの無力感・虚無感の中、絶望の淵をさまよう弦の姿は、なるほど背筋が凍るものがある。  
ただ、本作の真髄はそんなものではなくて、このフィクションが“過去のものではない”ということにある。どういうことか。  
例えば本作では、明確な敵や黒幕・ラスボスは一切いない。悪そうなヤツらは登場しても、それはあくまで個別の役人や軍人などであって、総理大臣や菊の人たちは描写すらされない、セリフにも出てこない。つまり、主人公は特定の悪人が引き起こした陰謀に巻き込まれているのではなく、国家そのものや権力、体制というものに翻弄されている。そうした巨大な妖怪は、何も過去だけでなく、いつの時代にも発生しうるし。だからこそ作中でも、「XXXXX年」という時代を限定させない表記が採用されている。  
“いつの時代の話でもない物語”こそが、“いつの時代でもありうる物語”なんです。そう考えると、本作冒頭で語られる文章、
「過去、現在、未来───
この言葉はおもしろい
どのように並びかえても
その意味合いは
少しもかわることがないのだ」
これも、本作が持つ時代超越性・普遍性を示していることが分かるはず。終盤のストーリー展開はいささか駆け足だし、物語はある意味、理不尽に終わる。本来はもっと長く続くはずだったのではと思わせる部分もあるけど、あの不安な時代を実体験した漫画家による、時代を超えた警告書としてオススメ。ただ、うかつに読むと絶望感で死にたくなるので、精神状態がいいときに読みましょう。 ステマ。こちらの電子書籍でも購入可。400円。安い! けど面白さは変わらないです。