アランの戦争

ベーデーですよ、ベーデー。E.T.的な。

突然ですが、ジイちゃんバアちゃんの昔話を聞くのって、面白いですよね。
血のつながった祖父母の昔話、というわけではなく、
ご年配の方が語る過去の記憶というのは、お説教にならなければ、大抵おもしろい。

仮に80歳の方がいたとして、その人が20歳のときの思い出話を語るとなれば、
今から数えて60年前、1953年の話だぜ。
戦後すぐの、あの混乱期を生きた青年の記憶を語ることになるんだから、まあ面白いよ。

本作、『アランの戦争』もそんな感じの1冊。

作者であるBD作家のエマニュエル・ギベールが、
アメリカ人のアラン・イングラム・コープの戦争体験を聞き取り、漫画にしたもの。

こう紹介すると、「アランって誰ぞ」となるけれども、別に誰でもないです。
偉業を成し遂げた人物でも、隠れた偉人でもなく、本当に、ただの一般人。

戦争ってのは、第二次大戦のことですが、実は戦争らしいエピソードはすごく少ない。
戦争に行く前の訓練の話や終戦後の話はあるけれども、
メインに描写されるのは、その当時を生きた青年が、
どのように世界を生き、どんな人々と触れ合ったかであり、戦闘描写もほぼないです。

「訓練中に、これこれこういうことがあったんだ」、
「こんな変なヤツと友達になったんだ」みたいな、とりとめもないエピソードばかりで、
ドラマチックなストーリーも、目の覚めるような教訓話もなし。

ぶつ切りで終わるようなエピソードも多いし、オチのないエピソードもある。
まあ、なんといっても個人の聞き取りがベースだからね。

それでも、その淡々とした描写が不思議と面白い。
アラン青年が感じた戦争に対する妙な高揚感と忌避感、訓練でケガをした際の辛さ、
同じ部隊の仲間たちと過ごしたパーティーや夜遊びの楽しさ、
戦後、ドイツ人たちと付き合ったときの興味深さと驚き、
かつての戦友たちと再会した時のたとえようもない嬉しさと喜び、
牧師の道への幻滅と、本当の意味で自我が目覚めた際の鮮烈な感動……。

そういったもろもろの個人的なエピソードが積み重なって、
読者の中で“アラン・イングラム・コープ”という人物が身近になっていく。
戦争という大きな物語にも染まりきらない、独自の物語をつむいでいくわけだ。
それこそ、近所にいるおじいちゃんの語る昔話みたいな等身大のリアルを得る。
だからこそ、物語がじわっと沁み入ってくるような感覚で読めます。

ただ、確かに“なんでもないようなエピソードばかり”とは書いたけれども、
画一化された“みんな”の記憶が共有されやすい戦争期間中において、
かくも個別具体的な記憶を保持し続けてきたということは、
ある意味すごいことかもしれない。

よほど確固たる“自分”がないと、戦争の思い出話は
「みんな辛かった」とか「みんなめちゃくちゃだった」になりがちだからね。

ビジュアルについていえば、主線がメインで描かれたすっきりした絵柄なので、
日本漫画に近い感覚で読み進められます。テキストは多いですが。
余白の使い方や、墨絵のような“にじみ”の描写も美しい。
ここらへんは作家たるエマニュエル・ギベールの卓越した手腕が見て取れる。
巻末の解説も読み応えあり。っていうかまだ読めてない。

本作を読んでも、人生の意味や生きる目的についての“正解”はわからないです。
でも、「例えば自分はこう生きた」という、“解答例”はわかる。
そんな等身大で描かれた物語に興味があるのなら、おススメです。佳作。