「誰それに投票するのが正しい!」という発想は危険である

選挙の前後にかけて「○○に投票するのが正しい判断」「~~に投票するのは馬鹿」みたいな言説があちこちで聞かれるけど、これが危険な発想の端緒である、ということについて書く。

 

結論から言うと、「○○に投票するのが正しい」「~~に投票した人は間違ってる」みたいなもの言いは、「正しい政治家さえ選べば政治はうまくいく」「この国がうまくいかないのは正しい政治家が選ばれなかったから」みたいな思考を導きがちで、それは結局、自分の暮らす社会の行く末を【誰かに丸投げする】ことにほかならない。だから危険。邪悪、と言ってもいい。

 

「正しい政治家さえ選べばうまくいく」、などという発想は最悪の思考停止でしかなくて、つまるところ「当たりさえすれば人生の勝ち組になれる」と考えているギャンブラーとほとんど同じだ。そこには、自分の投票行動に対して自覚的に客観し、結果を顧みて最善を尽くすという覚悟がない。

 

そしてまた、投票行動に正解・不正解を求めだすと、いつまでたっても到来しない救世主を待ち望むしかなくなる。これなんかまだ害がないほうで、下手すると「何者でもない単なる政治家を救世主と勘違いして、崇め奉り、全権を委任する」可能性だってある。ただ自分の意見と合致しているという理由だけで、だ。

 

正しい政治家なんていないわけ。どこにも。【政治家】と【よりベターな政治家】しかいない。そして、なればこそ私たちは歩みを止めてはならない。

 

どのような政治家のどのような治世であっても(あなたの望んだ政治家であっても)、くさらずに・粛々と・手の届く範囲を「昨日よりまともに」していくしかない。「~~に投票しないのは情弱」だとか言うのではなく。

 

シュトヘル』のユルールも言っている。

「いかなる王の世にあるか、の偶然のみが人の幸、不幸を決めるなんて。これこそが、無念じゃないか」 

あなたが「この選挙で日本オワタ」と思えば、政治家はまさに選挙結果をすべての大義名分にして振る舞うだろうし、あなたが「どんな選挙結果であっても、自分にやれること・自分のやるべきことはある」と考えれば、政治家にとっても選挙結果は単なる選挙結果という指標でしかなくなる。

 

もっかい言う。投票に正解はない。正解を求めれば求めるだけ、あなたは自分の運命を誰か他人にゆだねることになる。