虚航船団

前回のエントリで「虚構船団」と書いていましたが、正しくは『虚航船団』でした。関係者各位にご迷惑おかけしたことをお詫び申し上げます。

というわけで、再読し終わったので、取り上げます。筒井康隆、『虚航船団』。今までいろんな活字を読んできましたが、本作ほど魅力的な書き出しを、私は知らないです

 

「まずコンパスが登場する。彼は気がくるっていた。」

 

いきなりこんなですからね、引き込まれないはずがあろうか(反語)。あいや、これだけ書いても何が何やらわからんか。

本作、『虚航船団』は、3部からなります。宇宙船であてどない旅を続ける文房具たちの狂気を描いた第1部「文房具」。イタチ族が住む惑星クォールの999年の歴史を描いた第2部「鼬族十種」。そして、クォールに侵攻した文房具たちとイタチ族との、戦闘・破滅・狂気・死・混迷・作者の日常を描いた第3部「神話」。

第1部は、その名の通り文房具たちが主役です。擬人化された文房具。他人の目が気になってしかたないコンパス、ゲシュ崩気味の輪ゴム、ひたすら数を数えることだけに生きがいを見いだしてしまったナンバリング、誰かれかまわず口喧嘩を売るコンパス、老いと死への恐怖にとらわれている下敷き、作家として目覚めたことで狂気への道を踏みとどまった三角定規(兄)と、そんな兄への嫉妬から狂ってしまった三角定規(弟)、自らを天皇と思い込んでいる男色家の消しゴム、自らを誰かにプログラミングされたロボットだと思い込んでいる分度器、自らをスパイだと思い込んでいるチョーク、etc、etc...

彼らは最新鋭の宇宙船に乗り、乗員として働きながらも、「自分とは何か?」という思いが嵩じて発狂しています。そうした中、ある日突然、クォール星のイタチ族をせん滅しろとの命令が下る。ここまでが第1部。

 

第2部では、クォール星の999年の歴史が概観される。流刑によってイタチら(オコジョやクズリ、テン、ミンクなど)がこの星にたどり着き、少しずつ文明らしきものを構築し、古代、中世、近世、現代へと発展していくさまを描く。

その歴史は人間(現実世界のね)の歴史にそっくりであり、どこかで聞いたような国や、どこかで見たような偉人が登場し、国を興し、戦争し、殺し・殺されしながら、人工衛星を打ち上げるまでに発展していく。そして999年の6月、大国同士の核戦争が勃発すると同時に、“天空からの殺戮者”(=文房具たち)が襲来する。ここまでが第2部。

 

第3部は、第1部・第2部の総決算であり、狂気と正気の黙示録であり、作者自身さえも唐突するメタフィクションです。文房具たちは、基本的には命令通りにイタチたちを殺戮して回る。ここぞとばかりに狂気を拡大させるものもいるけども、あまりの狂気ゆえに正気に戻るものもいる。中には部隊から逃げ出して、戦闘終了後 何十年も生き続けるものもいる。

イタチらはというと、圧倒的な科学力の差ゆえに文明はほぼ崩壊する。しかし多産で穴を掘る逃げ隠れの名人であるがゆえに、各地で少数のイタチらが生き残り、襲来のことを思い返したりする。最後は、イタチと文房具の間に生まれた新時代の子の印象的なセリフで幕を閉じる。

全編を通して、非常に“読みづらく”、国語の教科書的な文章しか読んだことがない人には、10ページ読み進めることさえ苦痛だと思う。句読点が極端に少なく、別のシーンの描写が1文内で展開されることも多い。特に第3部後半は、唐突な場面転換や時系列の倒置が連続するほか、いきなり作者自身(つまり筒井康隆自身)の日常風景が入り込んでくることもあり、メタフィクションを飛び越えてもうメッタメタ。読んでて意識がとっちらかります。

実際にこんな感じというのを再現してみましょうか。

「例えばこのような文章です試しにやってみようかという宣言を踏まえて読むのであればある程度は想像もつくし心構えもできるというものですがこれを実際に日本SF小説の大御所と評されている人の作品中で読んだ日にはアナタ想像できますかなに『いや別段難しくもない』ですってアアそうですか私の文学的素養がそもそも低いのだとアナタはそうおっしゃりたいのですねそもそもある作品を読む際に文学的素養というものが読者側に果たして必要なのかどうかこれは大いに疑問である文脈を理解しさえすれば一定程度の理解は得られるであろうしそうして得た感情機微価値観というものが文学的素養をもって得た際のそれとどう違うのか誰に判断しうるであろうかそれにしても先生最近は貴様は何様だと怒鳴り返したくなるような人間が多すぎではありませんか確かにナアー素人がまるで鬼の首をとったかのように専門家に反論してまさに反論したことそのものに価値があるかのように喜ぶのがいかんのだよナアーやっぱり先生ツイッターというものがあるのがいけないのではしかしナアー私もツイッターにはお世話になっているからナア―えええまさか先生まさか先生ともあろう御方がえええまさか」

以上、精一杯再現しようと試みてみましたが、ホンモノはもっと複雑で猥雑で、ジャングルの生態系のごとく入り組んでます。日本の活字作品のなかでもトップレベルの修辞学的カオスと言えるのでは。

 

作品自体のテーマについて。

本作のテーマを読み解くのは、作品自体の読解レベルから考えても困難ですが、例えば第1部の文房具らは、その極端な機能性ゆえに発狂したことはわかります。つまりハサミが意識を持ったら「ものを切るだけの自分とは一体何なのか?」と、いう意識にさいなまれるであろうということ。また、イタチらの歴史が、現実世界の人間の歴史のカリカチュアであり、そのあり得ないほどの愚かしさと残虐さが、人の世の滑稽さを徹底的に皮肉っていることもわかります。

ただ、それ以外のことは正直わかりません。でも面白いです。文房具たちの狂いっぷりはほとんどギャグの領域だし、筒井康隆の恐るべき文筆力にも“驚嘆”としかいいようがない。

「虚無の風はもはや寒くも冷たくもなく、まして暖かくもなく、いわば虚無い」。

実際問題、こんなテキストを生みだせる人間は一刻も早く国宝扱いすべきだ。

 

以上、こんな紹介で本作の面白さや魅力を伝えきれたのか、まったく自信はありませんがこれ以上続けても無駄なことが明らかなので、ここまで。とにかく読め。それしかない。そう言い切るしかない作品もあるのだ。5つ星、10つ星どころか判定不能。メーターの針が振り切れております隊長。 

虚航船団 (新潮文庫)

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