がんばれ酢めし疑獄!!

漫画家でもないヤツが何を言うんだと思われるかもしれませんが、
数ある漫画ジャンルの中で、いちばん難しいのはギャグ漫画かもしれません。

バトル漫画やスポーツ漫画、恋愛漫画の中にギャグを組み込むことはできる。
けどギャグそのものを漫画として成立させ、しかもそれを“続ける”となると、 
これはもう生身の噺家、漫才、お笑いタレントと同じくらいの
体力、気力、機転とセンスが求められる。 

なんといっても、あれだけ大量かつ多彩な作品を生んだ手塚治虫でさえ、
純粋なギャグ漫画は描いていない。(ギャグ自体はいろんな作品に散りばめてる)
ことほどさように、 ギャグ漫画ってのは“生み”のレベルが高いジャンル。  

と、ゆーわけでえ。本日は施川ユウキ『がんばれ酢めし疑獄!!』です。

いわゆる4コマギャグ漫画。なんですけど、絵で笑わそうという気はほぼないです。
っていうかこの作者、絵がヘタです。
『え!?絵が下手なのに漫画家に?』っていう自伝漫画を描くほどに。 

その代わり、目の付けどころがと・に・か・く素晴らしい。ホントに。
明らかに一般人とは違う価値が見えている。

まあまず一例をあげよう。下の画像は1巻表紙。 

 

見ての通り、絵としては全然変化がない。 
宇宙船内の宇宙人の会話を、宇宙船の外側から見た描写。 それなのに面白い。
あたかも高校生のノリのような会話内容、
4コマ目、爆笑のあとの「これで地球は我々のモノだぁ!!」のセリフと、
それに続く「関係ねぇ!!」のツッコミ。

「これで地球は~」のセリフを脳内再生するときは、
それこそ侵略者のごとく、しかし笑いをこらえながら言うのが吉。

そのほかにこんなもの。3巻の裏表紙。見にくいけど。 

  

ここでも絵は極力シンプルに抑えられている。
2コマ目以外は同じ構図だし、描線も極端に少ない。でもやっぱ面白い。
「ノウハウがない」というビジネスライクな断り文句を、 
“犬が棒を取ってくる”シチュエーションにあてはめるセンス。
3コマ目の無音の間、4コマ目のオチ。完成されてる。

そんで、個人的に一番感心したのは次のネタ。
3巻53ページ、「裸婦デッサン」。

1コマ目。森の中に1人の男。
男「あー/裸婦デッサンしてえなー」

2コマ目。木々の茂みがガサガサとゆれる。
男「!?/誰だ!?」

3コマ目。茂みはまだガサガサとゆれている。
男「裸婦か!?/裸婦なんだろ!!」

4コマ目。姿を見せずに、木々の中から声が応える。
声「いかにも裸婦だが。」
男「いかにも!?/だが!?」

この作品のすごいところは、
文字だけで完全に説明可能という点と、言語チョイスの絶妙さ。

まず1コマ目。「裸婦デッサンしてえなー」なんていうセリフは、
まず一般人なら死ぬまで思いつかないし、口にしない。
それを一番最初にもってくるセンス。

2コマ目は一般的な“承”だけど、
それを受けての3コマ目、これも死ぬまで言うことはないだろうセリフ。

そして4コマ目。「いかにも裸婦だが」。
ここで、今度は裸婦が絶対に口にしないであろうセリフになる。
まあもちろん、裸婦がどんなセリフ、言葉遣いをするかは知らんけど、
「いかにも裸婦だが」などと言わないことは分かる。
それを代弁するかのように「いかにも!?/だが!?」の言葉で落とす。絶妙。

上に書いたように、作者は絵で笑わせるというよりも、
状況のナンセンスさ、発想の奇抜さ、卓越した言語センス、
そして日常に埋もれた“気づかれないおかしさ”などで笑いを取りに行っている。

感覚的には、ハガキ職人に近い。言葉だけで笑わせる感じ。
というかハガキ職人やってたんじゃないかなあ。あるいは詩のボクシング
だから最終的には、テクスト化可能なんだと思う。
実際、単行本3巻のコラムスペースでは、
本人が「僕は絵を描くより文章を書く方が楽しいらしい」と述べている。

ともかくまあ、2ちゃんねるやテキスト系サイト、さらにブログ、 
ツイッターへと連なる「テキスト時代」(と俺は勝手に見ています)を
代表する新しいギャグ漫画であり、ギャグ漫画家です。 

このほかにも『サナギさん』や『森のテグー』、『もずく、ウォーキング!』、
『12月生まれの少年』などがあります。どれも本作と同等に面白いのでおススメ。