ストーカー

さみーな、おい。雪だよ、雪。寒いっつーか冷たいぞ。

という気候のあいさつとは全く関係なしに、
今回取り上げるのはストルガツキー兄弟の代表作、『ストーカー』です。

ストーカーといっても、警察がなかなか動かないことで有名なほうのアレではなくて、
“密猟者”という意味でのストーカーです。

えー、SF小説です。ジャンル的には“ファーストコンタクトもの”と呼ばれる作品。

19XX年、突如、某国ハーモント市という片田舎に、異星人の集団が来訪する。
しかし異星の生命体たちは、地球人と接触することなくそのまま帰還。

その代わり、彼らが来訪した一帯では、
使い道のわからない高度に進んだ科学技術の産物が残されていただけでなく、
強力な重力場、プラズマ放電といった危険な空間、
さらにはミュータントの発生、死者の復活などの怪現象まで発生するようになっていた。
来訪があった場所はゾーンと呼ばれ、謎を探るべく国際的な研究所も設立されるが、
異星文明が残していった物品を不法に持ち出しては売りさばく“ストーカー”も現れ……。

……というのが大まかな舞台設定。

物語は、ベテランストーカーのひとりであり、
ハーモント市生まれのレドリック・シュハルトを中心に語られていきます。
しかし、例えばゾーンの謎や来訪の理由を解き明かすだとか、
ゾーンの所有権を巡って研究所とストーカーたちが戦いを繰り広げるだとか、
そういったハリウッド的なストーリー展開はありません。

描かれるテーマのは、突如として異常な状況に投げ込まれた人間がどのように考え、
どのように生き、どのように行動するかというもの。

ゾーン内は非常に危険であり、文字通り“何が起きるかわからない”。
異常な重力場で体を押しつぶされることもあれば、
謎の物品によってドロドロに溶けてしまうこともある。
もちろん、一般人は立ち入り禁止なので、パトロールに見つかれば懲役もくらう。

そうした危険極まりないゾーンに侵入しては、異星文明の物品を持ちだし、
生活の糧としているのが、主人公を始めとするストーカーたち。
まさに生命と引き換えの仕事であり、ゾーン探索が終われば、
生き残ったことを感謝しながらバーで浴びるほどに強い酒を飲む。

主人公のレドリックもそんなストーカー稼業を続けており、毎日が苦悩の連続。
生きるか死ぬか、逮捕されるか・されないか、
明日はまだいいとして、この先、自分や家族の生活はどうなっているのか。
しかしそれでも、人生や世界を呪うようなことはせず、
悪態をつきながらもピンチに陥った仲間を助け、家族や故郷を大事に思っている。

こうしたサバイバビリティ高めな精神的タフさ、
ギリギリのところで踏みとどまって人間らしさを失わない心根が、
作者の描きたかった人間の姿ではないでしょうか。

というのが、まあストーリーに対する読書感想文的な感想。
下世話なSF好きとしては、やはりその世界観にクラクラしてしまいます。

例えば、「なぜ来訪が起きたのか? ゾーンの意味とは?」といった疑問に対し、
実は作中でもわずかながら考察がなされているんですが、その観点が面白い。

3流SF小説であれば来訪ゾーンの意味について、
もっともらしい意味づけを行ったでしょう(「人類の反応を観察してる」とか)。

しかし本作では、来訪も、ゾーンおよびそこに残された物品も、
“路傍のピクニック”に過ぎないんじゃないか? と、とある登場人物に語らせている。

つまり、都会人たちが田舎の森へピクニックに出たとする。
ピクニックをした跡地には、使い捨ての弁当箱やペットボトル、空き缶、
ガムやキャンディーの食べ残し、ティッシュペーパー、ラジカセに使った乾電池など、
森林にすむ虫たちを困惑させる、さまざまなモノが残されているはず。
来訪およびゾーンも、このピクニックと同じなのではないか? という考察だ。

となれば、来訪にもゾーンにも、そこにある奇怪な物品にも、特に意味などなく、
したがって異星文明は人間たちに気を払ってもいない、ということになる。

作中では、「そんな人間を軽視した考え方はガマンならん」と
別の登場人物が語っているものの、
もし実際、同じような出来事が現実に発生したら、果たしてどうなるだろうか?
私たち人間は、地球におけるファーストコンタクトの主導権を取るに足る存在なのか?

話は脱線しますが、地球上におけるバイオマス(特定空間における生物の量)では、
昆虫のアリは人間とほぼ同じらしいです。そして、オキアミ(エビみたいなヤツね)は、
アリと人間を合わせた量よりも巨大なバイオマスを誇るそうな。
また、未来学者レイ・カーツワイルによれば、2050年ごろには
人工知能などに代表される超人間的知性が誕生するだろうといわれてます。

さて、どうでしょう。果たして、地球外からやってきた異星文明は、
地球上で一番成功している存在を何と見なすのだろうか。
ひょっとして、人間ではなく、オキアミやコンピュータ群にコンタクトを取るのでは……?

人間存在を卑小化させる異常な状況下にあって、個人にできることは限られており、
レドリックやストーカーたちや研究者たちも右往左往するばかり。
(そういうことも考えながら読み進めると、レドリックたちストーカーの苦悩も、
 また一段とリアリティをもって読むことができるはず)

それでも救い、というか、精神の拠り所はある、と作中では語られています。

「なぜ人間は偉大なのか? 第二の天性を創りあげたからあのか?
 ほとんど宇宙的ともいえる力を制御したからなのか?
 ごく短期間に地球を征服し、宇宙への窓を開いたからなのか?
 そう訊かれていれば、いやそうじゃない、そうしたことをいっさい考慮しなくとも、
 人間が無事に生きのびてきたし、将来も生きのびようとしているからこそ、
 人間は偉大なんだ、と答えたはずだ」

わけのわからん異星文明やゾーンにまどわされながらも、
生き、そして生き延びようとすることを忘れなければ、なんとかなるはず。
それこそが、精神的タフさを支える意志というやつではないでしょうか。
私はそう読みました。

アウトローなロシアSFということもあって、文章はちょびっと読みにくいですが、
ゆっくり読めばSF初心者でも十分読みこなせます。
ゲーム『S.T.A.L.K.E.R.』シリーズのファンであれば、さらに楽しめます。

作者のストルガツキー兄弟のうち、兄のアルカジイは1991年に逝去していましたが、
弟のボリスも2012年11月19日に逝去しました。遅ればせながら合掌。