しっかしマアじめじめと蒸し暑いですな。
これでまだ6月だってんですから、エエ、8月にゃ茹でダコんなっちまうんじゃないすかね。
あいや、ダンナのことじゃないですよ。言葉のアヤってやつで、どうも。へへへ。
しかしあれですな、こうも蒸し暑いと、何か“涼”を感じさせるものがほしいですな。
冷えたビールの1本でもありゃいいんですがね。へっへへ。
おやっ! いいんですか? まるで催促しちまったみたいで悪いですな。
じゃあありがたく、とっとっと……。
くうーーっ、さすが、美味いですな…って、え、なんですか?
お前は“涼”を感じさせるものは、何かないのか? ですって?
へっへっへ、イヤですよダンナ、
何もないからこうしてダンナのところまで来たんじゃないですか。
でもま、なにもないってのも? 確かに無粋でございますんで?
何か…な・い・か・なーっと……。
そうだっ(ポンっとヒザを叩く)。
実はですね、ものすごーーーーく恐い漫画があるんですよ。
いやいやいや、ポンチ絵だからって馬鹿にできやせんよ?
『不安の種』ってんですがね。こぅっれが恐いのなんのって。いやホント
なんたって最近映画化もされるくらいでして。
いや、これはあんまり当てにならないのか? いや、でもホント。恐いんですよ。
つってもどう恐いのかって聞かれると困るんですが、へへへ。
ただ、普通のホラー漫画ってんですか? それたぁちょっと違うのは確かですな。
どういうことかと言うとですな、きっちりした物語がないんですよ。
なら短編ホラー漫画と同じだろって?
いや、それ以上に物語ってやつがないんです。なにせ1話が4~5ページですから。
少ないと3ページ。多くても8ページくらいですかね。オムニバスってヤツですよ。
じゃあどういうふうに恐がらせるのかっていうと、
日常の何気な~いシーンに、いろんな“変なモノ”を紛れこませてくるんですな。
風呂場で髪を洗っているときとか、夜道を歩いているときとか、
一人で会社で残業しているときとか、眠る前の電気消したときとか、
そういうシーンに、なんの脈絡もなく“変なモノ”を登場させるんす。
たったこれだけなのに、まあ恐い。恐いと言うか、不気味ですな、はっはっは。
いや笑いごとじゃないんですけどね、出てくる化けモンたちの姿もすごくて、
ひと目見たら忘れられないってのは、ああいうのを言うんでしょうなあ。
「あそぼうオジサン」とか「おちょなんさん」とか、
もうばっちりモロ見え、すごいのなんのって、へっへっへ。
まあ物語がない分、どうしたってフンイキ漫画になりがちなんですけどね、
瞬間風速的な恐さってやつぁありますよ。ページが少ない分、濃ゆい密度でさぁ。
まるでツイッター……おっと、こりゃ言い過ぎやしたね、どうも。
まあ、こういう漫画読むとね、
恐いって感情、つまり恐怖ってやつにも、いろいろあるんだなと思いやすね。
いや例えばね、海の向こうのラブなんちゃらって人が書く小説は、
人間の理解を超えた存在を恐怖の対象としていたようですよ。
宇宙的恐怖ってんですか? あれなんかはいかにもバテレンさんの発想ですな。
で、あたしら日本人はどうかというと、因果応報っていうか、
悪いことしたから恐い目に遭う、みたいなお話が多いことに気づくんです。
四谷怪談なんてぇのは、まさにその代表例みたいなもんですよ。
もちろんどっちも恐いですし、ゾッとしますよ、ええ、しますとも。
でもダンナ、あたしゃ思うんですよ、
恐怖ってやつは、結局のところ“理不尽さ”なんじゃないかって。
別段なんにも悪いこともしてないし、思い当たることもないのに、
ある日突然、よくわからない“モノ”に目をつけられてしまう。
日常から非日常に否応なく引き込まれてしまう。
何で俺が? 俺が何をした? なんでこんな目に遭うんだ? どうすりゃいいんだ?
そういうのが、ひょっとして、いっとう恐いんじゃないんですかねえ。
この『不安の種』って漫画は、そういう恐さを目指している気がしやすよ、あたしゃ。
どこにでもある風景、誰にでもある日常の中から、
突然、得体のしれない不気味さが姿を現して、斧を振り回しながら追いかけてくる、
そんな恐さを感じてしまいやしたね。へへへ、わかりにくいですな。すいやせん。
さ、そろそろおいとましやす。ずいぶん涼しくなったんじゃねえですか?
どうも、ご馳走様でした。今度はあっしにご馳走させてくださせえや。
じゃ、これで、へへへ。
ああ、そういえばダンナ、その肩に乗っかってる人、誰です?