∀ガンダム(2)

はい、前回お伝えしたとおり、『∀ガンダム』について、2回目の更新です。

作品全体についての紹介は、前回で終わったので、
今回は本作の最萌えキャラクターであるソシエお嬢様について。

※ネタバレを考慮せず、なおかつ観たことがある人向けの内容となってます。

ソシエお嬢様について、とは言いましたが、
「いきなりブーン⊂二二二( ^ω^)二⊃する姿がカワイイ」とか、
カプルに搭乗して果敢に戦うも、あんまり活躍してないのがカワイイ」とか、
「キエルお嬢様と比べて圧倒的な“ない胸”がカワイイ」とか、そういうんじゃありません。

ここで述べたいのは、ずばり「もう一人の主人公」としてのソシエ・ハイム

いや、ターンエーの主人公は言うまでもなくロラン・セアックですが、
実は彼は、これまでのガンダム作品主人公に見られた重要な要素を有していない。
その要素は何かというと、“成長”。

そう、ロランはほとんど“成長”していない。
といっても「まるで成長していない…」(by安西先生)的な意味ではなく、
早期に完成してしまっているという意味で“成長していない”。

例えば、彼は、パイロットとして非情な戦いを経験しつつも、
誰に言われるでもなく、∀ガンダムや兵器を人助けのために活用している。
(牛の運搬、洗濯出動、「人の英知が生み出した物なら人を救って見せろォ!」など)

また、全50話中の第8話という非常に早い段階で、
ガンダム作品の(いや、全ロボアニメの)主人公が到達すべき境地に達している。
敵・味方関係なく、そして自分の不利益も顧みずに
「人の命を大事にしない人とは、僕は誰とでも、戦います!」と叫ぶ彼の姿は、
間違いなくガンダムパイロットとしての完成形。

実際、「何で戦争してるんだー」とか「人の命がー」みたいな感じで悩んだりしていない。
かなり明確に自分の意志や立ち位置を鮮明にしており、
物語の始めから終わりまで、そこからブレないように振る舞っている。
これも完成しているがゆえの行動でしょう。


で、対するソシエお嬢様はどうかというと、
最初のうちから作中でも随一の好戦派として描かれる。

もちろん、その背景にはちゃんと理由がある。
ムーンレイスの地球帰還作戦によって父親を亡くし、
それが原因で母親も心が壊れてしまうという、大変な哀しみを味わっている。

それゆえに、月を治めるディアナ女王にも強い敵愾心をあらわにしているし、
ロランがムーンレイスであることを知ったときには強烈なビンタを食らわせている。
自分でカプルに乗り、父親の仇を討つため、直接の戦闘も繰り広げている。

ただ、彼女の行動はあまりにも向こう見ずであり、
考えなしに敵陣に突っ込んでロランにフォローされることも少なくない。
また、キエルやキエルに扮したディアナにその軽率をたしなめられることもある。

ガンダムパイロットの完成形であるロランや、
平和裏に事態を進めようとするディアナ&キエルの奮闘を目にしている視聴者にとって、
こうしたソシエの姿は、いささか子供っぽくも映るでしょう。

ちょっと話は逸れるけど、ストーリー序盤の成人式のシーンについて。

あのシーンでは、戦争が始まってしまたため、ソシエは成人の儀式を終えていない。
成人の儀式とは、背中をヒルに吸わせて6つの聖痕をつけることなんだけど、
もともとこれはターンエーの座席に座ることでできる背中の痣(あざ)に由来している。

ロランもソシエと同様に成人の儀式は終えていないんだけど、
彼はターンエーにハダカで乗り込んだことで背中に痣を付けている。
つまり通過儀礼的には“成人”したことになるわけ。

こうした比較からも、ロラン=大人、ソシエ=子ども、の構図が見て取れる。

だけど、彼女のこうした敵対心・幼さも、物語進行とともに少しずつ変わり始める。

例えば15話でウィル・ゲイムの死を目の当たりにしたり、
あるいは19話にて、自分の突っ走りが原因で味方に戦死者を出してしまったりしながら、
少しずつ、勇ましいだけでは済まされない、戦争のリアルを目の当たりにしていく。

そして中盤、大切な人の死に触れたあたりから、
ソシエは勇猛果敢なだけではいけないのだと学び、“大人”になっていく。

あえて戦闘を小さく抑えようとするロランの言葉にも理解を示し、
終盤、ディアナの真意も知ったことで、
月での戦闘時には、ムーンレイスの宮殿に被害が及ばないように気を使うなど、
敵側に対しても配慮を見せるまでに。

それと同時に、ロランに対する思いも募らせていく。
敵の総大将との死闘を繰り広げたロランに対しては、
通信で「声を聞かせてよ!」と叫び、ひとりの女性としての本心をあらわにした。
(これについて、ホントは以前から好きだったんだけど、
 戦争やら何やらで自分をごまかしていたんじゃないかと個人的には推察する)

そしてラストエピソード。
ディアナとともに隠棲することを決めたロランからキスを受けるも、
あえて彼を追いかけようとはせず、思い出の品を川に投げ捨てている。

これはロランに対する気持ちにケリをつけるためでもあるし、
一人の人間として、子供っぽさとの決別でもあるんでしょう。俺はそのように観た。

「ロランとの愛を成就できなかったことが可哀そう」という感想も多いけど、
やっぱりこの“ロランとの決別”こそが、ソシエの成長に必要だったんだと思う。

そう考えると、最終話でソシエが月に叫ぶというのもかなり意味深。

第1話「月に吠える」で、ロランが月に叫んだところから彼の物語が動き始めたように、
ソシエの本当の物語は、ロランと決別して、月に叫んだところから始まるんだと思う…。

とまあいろいろ裏読み・推察・想像をくわえて、ソシエお嬢様のことを考えてみました。

本来“成長”するべきはずの主人公が、早期に完成してしまった本作。
その代わり、子どもから大人へ、少女から女性へと成長していくソシエは、
やっぱりターンエーでの「もう一人の主人公」なんじゃないかなーと、思います。

そしてまた、この成長という要素こそが、
ソシエを最萌えキャラたらしめているんじゃないかなと、個人的には思います。

これからターンエーを観る人はソシエにも注目しながら、
すでに観終わった人は、改めてソシエに注目しながら視聴してみてください。
彼女の魅力が少しでも発見できれば、幸甚これに尽きます。以上。